多発性硬化症 という病気 その1
2012年 05月 04日
多発性硬化症とは、簡単に言えば、
侵入してきた外敵をやっつけるのが役目であるはずの免疫細胞が、
なにを間違ったか、味方であるはずの自分自身の神経細胞まで攻撃してしまう病気です。
いわゆる免疫不全というヤツ。
それで、攻撃した神経細胞の部分が炎症を起こし、神経が通じなくなります。
脳からの信号はちゃんと出ていて、たとえば手を動かす神経も万全なのですけど、
その間の神経が断線している状態のため、麻痺している状態になります。
炎症が治まればまたある程度、神経は通じるようにはなるのですが、
やはり一度炎症を起こしたところは元通りにならないみたいで、
手の動きが悪くなったり、歩きにくくなったり、様々な後遺症が残っていきます。
解剖時に調べてみると、炎症を起こした部分が硬くなっているので
多発性硬化症、という病名がついたようです。英語ではMSといいます。
僕の場合、39歳の頃、
まさに、仕事も家庭も脂の乗り切った時期といいますか、
とにかくやることすべてが楽しく、人生行路をトップスピードで走り抜けていた時期のこと。
自分では感じなかったけど、おそらくストレスも蓄積していたのでしょう。
当時の僕は、自転車が一番の趣味でした。
当時の世の中の流行を追えば、
細いタイヤでスピードを競うロードレーサーか、太いタイヤのマウンテンバイク、ということになるのでしょうが、
僕はそんなことには一切興味がなく、ランドナーという、昔からあるスタイルのツーリング用自転車でした。
荷物を積み込んで、いつも行き当たりばったり。
疲れたら自転車を降りて、地べたに座り、ビールを飲む、そんなことに最高の喜びを感じておりました。
(注)今はそんなことをすると飲酒運転になりますので絶対にしてはなりません。
そのような中、真夏の7月のある日練習がてら120キロのコースを設定し、朝早く自宅をスタートしました。
いつもと変わらぬ一日でしたが、その日はメチャクチャ暑く、日差しのきつい一日でした。
ちなみに、ハンドルにつけていたスピードメーターもあまりの日差しのきつさに壊れてしまいました。
当時は、日よけ対策、紫外線対策、のことなどまったく考えてなかったものですから、
レーシングパンツのない部分(ひざから下)や、Tシャツからはみ出た腕、は
まるでやけどのようになっていました。
それほど強い日差しを、丸一日、後頭部にモロに受けながら走ってしまいました。
それから3日後、急に目が見えなくなったわけです。
目が見えないといっても、全部見えないのではなく、
焦点になる部分(視界の中心)を中心に、面積にして7割部分くらいの部分が、灰色の雲に覆われたようになりました。前から誰か来ている雰囲気はわかるのですが、顔はわかりません。
そんな中、ある上役は『気合が足りないから見えないんだ。』と、
何とも泣くに泣けないようなことを言う人もおりましたし、一番辛い時期でした。
(こんな症状、なった人にしかわからないことですし、まあ、許すとしますか・・・。)
これは後でわかったことですが、
日本人の多発性硬化症患者は、視神経炎になる方が多いようです。
(その後、今の主治医のDr.に巡りあい、正確な診断を受けるまでに、6年の歳月を要することになるのですが・・・。)
ちなみに、それから約1ヶ月半後に、少しずつ霧が晴れるように目が見えはじめました。
(といっても、視野欠損しているところが多く、本を読んでも3行くらいしか見えない状態でした。今は、おそらくその周辺の視神経が強化されたからでしょうか、多少の視野欠損はありますが、普通に見えてます。)
(次回に続く)
侵入してきた外敵をやっつけるのが役目であるはずの免疫細胞が、
なにを間違ったか、味方であるはずの自分自身の神経細胞まで攻撃してしまう病気です。
いわゆる免疫不全というヤツ。
それで、攻撃した神経細胞の部分が炎症を起こし、神経が通じなくなります。
脳からの信号はちゃんと出ていて、たとえば手を動かす神経も万全なのですけど、
その間の神経が断線している状態のため、麻痺している状態になります。
炎症が治まればまたある程度、神経は通じるようにはなるのですが、
やはり一度炎症を起こしたところは元通りにならないみたいで、
手の動きが悪くなったり、歩きにくくなったり、様々な後遺症が残っていきます。
解剖時に調べてみると、炎症を起こした部分が硬くなっているので
多発性硬化症、という病名がついたようです。英語ではMSといいます。
僕の場合、39歳の頃、
まさに、仕事も家庭も脂の乗り切った時期といいますか、
とにかくやることすべてが楽しく、人生行路をトップスピードで走り抜けていた時期のこと。
自分では感じなかったけど、おそらくストレスも蓄積していたのでしょう。
当時の僕は、自転車が一番の趣味でした。
当時の世の中の流行を追えば、
細いタイヤでスピードを競うロードレーサーか、太いタイヤのマウンテンバイク、ということになるのでしょうが、
僕はそんなことには一切興味がなく、ランドナーという、昔からあるスタイルのツーリング用自転車でした。
荷物を積み込んで、いつも行き当たりばったり。
疲れたら自転車を降りて、地べたに座り、ビールを飲む、そんなことに最高の喜びを感じておりました。
(注)今はそんなことをすると飲酒運転になりますので絶対にしてはなりません。
そのような中、真夏の7月のある日練習がてら120キロのコースを設定し、朝早く自宅をスタートしました。
いつもと変わらぬ一日でしたが、その日はメチャクチャ暑く、日差しのきつい一日でした。
ちなみに、ハンドルにつけていたスピードメーターもあまりの日差しのきつさに壊れてしまいました。
当時は、日よけ対策、紫外線対策、のことなどまったく考えてなかったものですから、
レーシングパンツのない部分(ひざから下)や、Tシャツからはみ出た腕、は
まるでやけどのようになっていました。
それほど強い日差しを、丸一日、後頭部にモロに受けながら走ってしまいました。
それから3日後、急に目が見えなくなったわけです。
目が見えないといっても、全部見えないのではなく、
焦点になる部分(視界の中心)を中心に、面積にして7割部分くらいの部分が、灰色の雲に覆われたようになりました。前から誰か来ている雰囲気はわかるのですが、顔はわかりません。
そんな中、ある上役は『気合が足りないから見えないんだ。』と、
何とも泣くに泣けないようなことを言う人もおりましたし、一番辛い時期でした。
(こんな症状、なった人にしかわからないことですし、まあ、許すとしますか・・・。)
これは後でわかったことですが、
日本人の多発性硬化症患者は、視神経炎になる方が多いようです。
(その後、今の主治医のDr.に巡りあい、正確な診断を受けるまでに、6年の歳月を要することになるのですが・・・。)
ちなみに、それから約1ヶ月半後に、少しずつ霧が晴れるように目が見えはじめました。
(といっても、視野欠損しているところが多く、本を読んでも3行くらいしか見えない状態でした。今は、おそらくその周辺の視神経が強化されたからでしょうか、多少の視野欠損はありますが、普通に見えてます。)
(次回に続く)
by style-zero | 2012-05-04 18:09 | Comments(2)
Commented
by
ip2005
at 2012-05-14 23:36
x
花粉症も免疫系が大きく関わってると聞きましたが、
今回このような病気があるとは初めて知りました、
人を守る免疫が自分に向かってくるとは人間て不思議です。
今回このような病気があるとは初めて知りました、
人を守る免疫が自分に向かってくるとは人間て不思議です。
0
Commented
by
style-zero at 2012-05-15 16:17
因果関係があるのかどうかわかりませんが、花粉の時期に再発するパターンが多いような気がします。
このような病気になりますと、それまでは自分のチカラで生きているような気になっておりましたが、実際は様々な方の力添えがあればこそ、ということが身にしみて感じます。
このような病気になりますと、それまでは自分のチカラで生きているような気になっておりましたが、実際は様々な方の力添えがあればこそ、ということが身にしみて感じます。