タグ:健康 ( 12 ) タグの人気記事   

多発性硬化症という病気 その10   

b0186569_13554460.jpg

これから1時間かけて、ステロイド剤を点滴していきます。

主治医の先生はじめ、看護師さんも、

みなさん一生懸命取り組んでくださり、

本当に頭が下がる思いです。



この多発性硬化症という病気の急性期(再発期)の状態を表現するとき、よく『火事』に例えられます。



再発しているときは、

脳〜背骨の中の中枢神経にかけて、

複数箇所で火事(すなわち炎症)が発生している状態です。


難病指定されている病気ですから、

現代医学ではその火災の発生メカニズムはわかっておりませんし、連続放火犯の特定もできておりません。

したがって火災を起こさないための根本的な薬も開発されていないのが現状です。


火災(炎症)が起これば、

『ひたすら消火』し、障害となっている症状を抑える。

これが再発期の現代医学における唯一の治療法です。



その消火剤にあたるものが

この『ステロイド剤』です。


名前を聞いただけで、劇薬のようなイメージがあるかと思いますが、実際副作用も強いですし、看護師さんの扱いも慎重です。

聞いた話しでは、

体内でもステロイドは生成されるそうですが、

この点滴はその200倍〜数百倍の濃度とか。



小さな火災の場合は、この点滴を1週間かけて3回投与します。その後3週間かけて徐々にステロイドを減らして一件落着。火災は鎮火し、みごと炎症は治まります。



大きな火災ですと、これをもう1回(2クール目)やります。



今回の僕については、

最後の燃えカスまで消火するということで、

本日より3クール目(3回目)の治療に入りました。

副作用もありますので3クールが限度だそうですが。




おかげさまでずいぶんと足の動きやら回復し、下降の波から上昇の波へと、うまく乗り換えることができたようです。

何となく、おぼろげながら、遠くに見える退院の小さな灯りが見えてきたように感じています。







[PR]

by style-zero | 2016-02-03 13:25 | Comments(0)

多発性硬化症という病気 その9   

b0186569_10070512.jpg

松山市内 東方向の住宅街を望む



本日も気持ちの良い天気。

何だかそれだけでうれしい気分。



さて入院していますと、特に話題もなく

退屈な毎日が繰り返されるかと思いきや、


いやいやなかなか、

意外とやること(やりたいこと)が多くて困っています。

何と言っても、病室内にwifi環境が整備されていることが大きな原因です。

ノートパソコンを持ち込んだが最後、

雑務に追われて時間がなくなります。



そのような中、

唯一、最大のリラックスを味わえる時間が、

朝の『coffee time』です。
b0186569_10070549.jpg




朝食後、1FサークルKでキリマンジャロブレンドを買ってきて

部屋でゆっくりといただきます。


スッキリとした喉ごしで、

しかもわずか150円でこの時間を過ごせるのですから

贅沢は言えません。


ただし……、

オリジナルブレンド(100円)は、

いかに安いとはいえ、

雑味がありすぎて これはちょっといただけません。



一人部屋なら

自分が焙煎した珈琲豆で

毎朝、香り高い珈琲を淹れることも可能かもしれませんが、

4人部屋ではそうもいきません。

ガマン、ガマン。










[PR]

by style-zero | 2016-02-02 09:45 | Comments(0)

多発性硬化症という病気 その8   

b0186569_12365207.jpg

平日は外来患者さんでごった返している総合受付も

休日にはこの通り、人影はありません。


入院12日目、

薬が効いてきたのか

少しずつ改善の兆しを感じられるようになりました。








[PR]

by style-zero | 2016-01-31 12:40 | Comments(0)

多発性硬化症という病気 その7   

b0186569_11302521.jpg


Good day , Sun shine !

寒波も過ぎ去り今日はいい天気。

入院6日目

気分は良好 !(でも飽きてきた)



[PR]

by style-zero | 2016-01-25 11:21 | Comments(0)

多発性硬化症という病気 その6   

この病気は、3つのタイプに分けられます。

僕の場合、二次進行型というそうで、

再発(さいはつ: 症状が出る)と寛解(かんかい: 症状が治まる)を繰り返しますが、徐々に身体の機能や障害が悪化、進行していくようです。



これを考えだすと不安ばかりが募ってきますが、

まぁ、まだ起こってもいない未来の不安ばかりを数えても

何の意味もありませんし、とにかく時間がもったいない。



今日は入院部屋についてひとこと。




今回で9回目の入院、大ベテランの僕なのですが、

もっぱら4人部屋に入ります。

なぜか……、

特別な料金がかからず安いことがあるのですが、

実はそれよりも大きな理由があります。



それは……、

この世には、実にいろいろなタイプの人間が存在し、

そういう方と触れ合うことがとてもおもしろいのです。


過去、同部屋にはそれはそれはいろいろなタイプの方が居ましたよ。



たとえば『幽霊の見える人』。

これは怖かった!

夜寝られません! トイレに行けなくなりますよ。

『ここに居る、そこにも居る』といちいち幽霊の動きや姿の説明してくれるのですから。
b0186569_09062023.jpg

こんなに長い廊下ですと、何人(?)の幽霊が居ることやら。



それとか、
明らかに昔その筋の団体に所属しておられたであろうご老人。おそらく幹部ではなく下っ端だったでしょうけど、70歳近い老体にもかかわらず、いまだに暴力と詐欺の匂いをプンプン漂わせた方でした。

(ちなみにその方の今の職業は『さおだけ屋』。競輪選手の追っかけをして全国を渡り歩いているそうです。もちろん住所不定、ご自宅は車だそうです。)


それと、

毎回必ずいらっしゃいますのがイビキの音がうるさい方。

このような方は、朝看護師さんに『眠れましたか?』と質問されますと、決まって『ぜんぜん眠れませんでした。』と言います。

『眠れなかったのはおまえやないやろ!』心は中で思わずツッコミをいれてしまいます。





中には、素晴らしい方もいらっしゃいました。

元銀行員で、現在はイラストレーターの方が居ました。

おもしろいお話し満載で、この方とは意気投合して、その後大切なお友達になってくれました。


もっともっとたくさんのユニークな方がいらっしゃいましたが、今日はこの辺で。














[PR]

by style-zero | 2016-01-23 12:00 | Comments(2)

多発性硬化症という病気 その5   

このタイトルの投稿は3年数カ月ぶりです。



実は新年早々、元日の初詣の帰りに

持病の多発性硬化症の再発が始まりました。


再発は、あまりにも久しぶりでしたし、『新年早々縁起でもない』と見て見ぬ振りをしておりました。

ところが症状はどんどん悪化し、

ついに
b0186569_09453313.jpg

先日ここに入院することと相成りました。

入院には様々な制約があり(何よりお酒が飲めない!)
不自由ですが、主治医の先生がいつも診てくれるので安心です。



おそらく人は皆、自分の人生が下降線上にあるときは落ち込むと思います。

僕にとっては『体調』が下向きの今がまさにそれ。

わかってはいても、

やはりどうしようもなく落ち込みます。

(でも上向きになってきたら、こういった辛いことはすべて忘れるのですがね。)


それで、

辛い日々を少しでも前向き、陽気に過ごすため、

治療の合間を縫って、気がついたことや、この病院の紹介、病気についてのことなどがあれば、投稿していきたいと思います。

まずは、ベッドから見える風景です。
b0186569_09453303.jpg

松山の中心にあるこの病院から東側の眺めです。








[PR]

by style-zero | 2016-01-22 09:15 | Comments(0)

多発性硬化症という病気   その4   今後の夢など   

b0186569_21221091.jpg

デパート屋上の観覧車から、松山城を望む。




ブログの更新。
一度サボり癖がつきますと、復帰するのはなかなかムツカシイものですねぇ。


このところ気忙しいというか、
多忙を言い訳にしてカバン製作を怠け、お見せする作品がないのもひとつの要因。。。


でも、ようやく重い腰を上げて書き始めております。







さてさて・・・、前回からの続き ~今後の夢など~ です。






病気の後遺症として残っていること、、、


ひとつは、掌の感覚(特に薬指と小指あたり)が鈍く、指の動きが悪いこと。


もうひとつは、高い声で唄おうとするとき、


声帯を引っ張る筋肉が働くと思いますが、その筋肉が動いてくれません。


すなわち、今の僕の音域は1オクターブくらいしかありません。





まだ他にもありますが、とりあえずこういった後遺症が残ったことでできなくなったことがあります。




それは、ギターを弾くこと、歌うこと、です。


これは僕にとって、とても大きな出来事でした。






ギターを弾かなく(弾けなく)なって十数年、



僕の左指の頭は、もうなだらかで、柔らかくなっています。








こんな状態ですが、


もう一度ギターを持ってステージに立ってみたい!


タキシードを着て、蝶ネクタイをして。。。


できれば、ソロか、ギター2本のアンサンブルか。。。


これが僕の今後の夢です。


しゃれたステージではなく、


高校時代を思い出して、できれば古い体育館のようなステージがいいですねぇ。





そのためには、リハビリというか、ギターを弾き始めなければなりません。


弾けなくても、とにかくギターを弾くのです。


手始めに、これからやってみようかなあ。



これなら、何とかできそうです。とりあえずオープンDチューニングにして、っと。


30年以上前のレパートリーだけど、たぶん指は覚えているはず。





もちろん、キレキレの状態にはならないだろうけど、


考えただけで、


あゝ、何だか久しぶりにワクワクしてきたぞ。。。。
[PR]

by style-zero | 2012-07-09 22:34 | Comments(4)

多発性硬化症という病気   その3   

この病気の症状、特に手足が麻痺し始めた頃は、やはり荒れましたねえ。






それまで当たり前にできていたことができないという、自分への怒り、焦り・・・。


これから先どうなるのだろうという、どうしようもない不安・・・。




そんな日が半年くらい続いたでしょうか。





もがき苦しんでいる間はまったく好転の兆しが見えてこなかったのですが、


いわゆる『どん底』まで落ちますと、底に足がついたからでしょうか、


それまでの苦しみが嘘のように、大きくジャンプすることができました。




症状が改善方向に切り替わった瞬間を実感できましたし、


同時に、病気に対する考え、もっと言えば『生きる』ことに対する考えが変わってきました。






病気とは忌み嫌うもの、病気=悪、


これは、万人の当たり前の考えでしょうけど、


そうでもないぞ、と思うようになってきたのです。





というのも、この病気になる前、人生行路をトップスピードで走り抜けていた頃は、


恥ずかしいですけど、すべて自分のチカラだけで走っていた、と勘違いしていたように思います。


病気になったことで、周りの方々の力添えが必要となり、お世話になることで初めて気が付きました。




もちろん、苦しみの真っただ中にいるときはわかりませんが、


『周りの方々(特に妻)への感謝の気持ち』


このことに気が付くことができただけでも、この病気には大きな意味があったと、今はそう思えます。


確かに失ったものもたくさんありますが、それ以上に得たものがある、今はそう思えます。



                     (次は、今後の夢など・・・。   つづく)
[PR]

by style-zero | 2012-06-17 21:53 | Comments(4)

多発性硬化症 という病気  その2   

そりゃ、この病名がはっきりわかってからというもの、



とにかく調べまくりましたよ、NETや本で。



そして、どんどんこの病気に関する知識が増えていきました。






しか~し・・・、


ある日を境に、この病気について調べることを、考えることを、一切やめました。





なぜだかわかりますか?






それでなくても他の人よりも短い(かもしれない)人生なのに、


まだ起こってもいない将来の不安に自分の頭の中を支配されることが


バカらしいというか、もったいなく感じてきたからです。



もし大変な事態になったら、なった時に考えましょ、ということ。


要するに興味がなくなってきたのでしょうか。







せっかく、今は平穏な時間を過ごすことができているんだから、


どうせなら、
今このときを        思いっきり       楽しんでやろう・・・



そんな考えに変わってきたのです。
[PR]

by style-zero | 2012-06-06 21:26 | Comments(2)

多発性硬化症 という病気  その1   

多発性硬化症とは、簡単に言えば、


侵入してきた外敵をやっつけるのが役目であるはずの免疫細胞が、


なにを間違ったか、味方であるはずの自分自身の神経細胞まで攻撃してしまう病気です。


いわゆる免疫不全というヤツ。





それで、攻撃した神経細胞の部分が炎症を起こし、神経が通じなくなります。


脳からの信号はちゃんと出ていて、たとえば手を動かす神経も万全なのですけど、


その間の神経が断線している状態のため、麻痺している状態になります。





炎症が治まればまたある程度、神経は通じるようにはなるのですが、


やはり一度炎症を起こしたところは元通りにならないみたいで、


手の動きが悪くなったり、歩きにくくなったり、様々な後遺症が残っていきます。


解剖時に調べてみると、炎症を起こした部分が硬くなっているので


多発性硬化症、という病名がついたようです。英語ではMSといいます。






僕の場合、39歳の頃、


まさに、仕事も家庭も脂の乗り切った時期といいますか、


とにかくやることすべてが楽しく、人生行路をトップスピードで走り抜けていた時期のこと。




自分では感じなかったけど、おそらくストレスも蓄積していたのでしょう。


当時の僕は、自転車が一番の趣味でした。


当時の世の中の流行を追えば、


細いタイヤでスピードを競うロードレーサーか、太いタイヤのマウンテンバイク、ということになるのでしょうが、


僕はそんなことには一切興味がなく、ランドナーという、昔からあるスタイルのツーリング用自転車でした。






荷物を積み込んで、いつも行き当たりばったり。


疲れたら自転車を降りて、地べたに座り、ビールを飲む、そんなことに最高の喜びを感じておりました。


(注)今はそんなことをすると飲酒運転になりますので絶対にしてはなりません。






そのような中、真夏の7月のある日練習がてら120キロのコースを設定し、朝早く自宅をスタートしました。





いつもと変わらぬ一日でしたが、その日はメチャクチャ暑く、日差しのきつい一日でした。


ちなみに、ハンドルにつけていたスピードメーターもあまりの日差しのきつさに壊れてしまいました。





当時は、日よけ対策、紫外線対策、のことなどまったく考えてなかったものですから、


レーシングパンツのない部分(ひざから下)や、Tシャツからはみ出た腕、は


まるでやけどのようになっていました。




それほど強い日差しを、丸一日、後頭部にモロに受けながら走ってしまいました。








それから3日後、急に目が見えなくなったわけです。


目が見えないといっても、全部見えないのではなく、


焦点になる部分(視界の中心)を中心に、面積にして7割部分くらいの部分が、灰色の雲に覆われたようになりました。前から誰か来ている雰囲気はわかるのですが、顔はわかりません。





そんな中、ある上役は『気合が足りないから見えないんだ。』と、


何とも泣くに泣けないようなことを言う人もおりましたし、一番辛い時期でした。

(こんな症状、なった人にしかわからないことですし、まあ、許すとしますか・・・。)







これは後でわかったことですが、


日本人の多発性硬化症患者は、視神経炎になる方が多いようです。
(その後、今の主治医のDr.に巡りあい、正確な診断を受けるまでに、6年の歳月を要することになるのですが・・・。)


ちなみに、それから約1ヶ月半後に、少しずつ霧が晴れるように目が見えはじめました。
(といっても、視野欠損しているところが多く、本を読んでも3行くらいしか見えない状態でした。今は、おそらくその周辺の視神経が強化されたからでしょうか、多少の視野欠損はありますが、普通に見えてます。)



(次回に続く)
[PR]

by style-zero | 2012-05-04 18:09 | Comments(2)